佐久市臼田の歴史訪問 五稜郭と新海三社神社

佐久市臼田の歴史訪問 五稜郭と新海三社神社

2020 年5月 30 日(土)オプショナルツアー
「佐久市臼田の歴史訪問 五稜郭と新海三社神社」

2020 年5月 30 日の ホテル軽井沢 1130 オプショナルツアーは、
「佐久市臼田の歴史訪問 五稜郭と新海三社神社」を実施いたします。

「佐久」地名の由来であり、かつての佐久郡三庄三十六郷の総社・新海三社神社。源頼朝や武田信玄らとも縁があり、境内古墳からは蕨手刀なども出土しています。
また、日本に二つしかない五稜郭の一つが佐久市臼田の龍岡城五稜郭です。
季節の花「藤」の花見スポットに立ち寄りつつ、佐久臼田の歴史を訪問します。

昼食は道の駅ヘルシーテラス佐久南で各自、ご自由にお召し上がりくださいませ。

「新海三社神社」は、興波岐命(おきはぎのみこと)を主神として東本社に祀り、その父神・建御名方命を中本社に、伯父神・事代主命を西本社に祀ります。特に興波岐命が、新開神(にいさくのかみ)とも称されることにより、「佐久」の地名の由来ともいわれています。
古来佐久三庄三十六郷の総社と言われた新海三社神社は、広大な社地を有し、境内の古墳からは蕨手刀(わらびてとう)が出土や、武神としても崇敬あつく、源頼朝による社殿の修理再興の口碑、武田信玄が箕輪城攻めの際における戦勝祈願の願文も残されています。

「龍岡城五稜郭」は、函館五稜郭とともに日本に二つしかない星型稜堡をもつ洋式城郭です。
龍岡城は、江戸時代末期に田野口藩主 松平乗謨が元治元年(1864)に田野口藩新陣屋として着工し、慶應3年(1867)に竣工しました。
フランスのボーヴァン将軍が考案したといわれる稜堡式築城法によるもので、突角部に砲座を設け各稜堡から十字砲火をもって攻防することを目的としています。

「臼田稲荷神社」は天徳4年(960)村上天皇の皇子佐久郡春日村に下りまして、後一条院の御宇正暦3年(992)此地に移り、社も山城国紀伊郡より稲荷山に移し、祭られりと伝わります。
武田信玄、御社に緋の垣を改め作らしめ、永禄9年川中島凱旋の日、大神の霊徳を賽し奉幣の儀壮厳且つ厳重なりしと云います。

「稲荷山公園コスモタワー」は、臼田城山にある広さ4ha の眺望が素晴らしい公園です。高さ 35 m の宇宙ロケット型展望台「コスモタワー」の周辺には、銀河鉄道や月面クレーター、宇宙基地に見立てた長いすべり台や花木園などがあり、全国でも珍しい「宇宙公園」として整備されています。

「砂ずりの藤」は、佐久市岩村田宿の円満寺にあり、佐久市内では旧中込学校と並ぶ「藤」の名所です。
開祖・興教大使が京都の本山から持ち帰った藤の種が始まりと言われていますが、現在の「藤」は二代目にあたります。房が特に長く「砂ずりの藤」と言われています。

≪スケジュール≫

※ 10:30 発の「軽井沢駅発 ホテル行き無料シャトルバス」
  お乗りいただいても、
このツアーに間に合います!

 11:30 ホテル出発
 12:45 道の駅ヘルシーテラス佐久南 自由昼食
 14:00 新海三社神社 観光
 14:45 龍岡城五稜郭 観光
 15:30 臼田稲荷神社 赤い鳥居のトンネル
      コスモタワーの藤棚を観賞
 16:50 円満寺 砂ずりの藤を観賞
 18:30 ホテル着

【ツアー参加費】
 会員 無料
 ビジター お一人様 2,000 円
 ※ ご昼食代は別途、各自でお支払いいただきます。

【予約方法】
 ご宿泊ゲスト専用のオプショナルツアーです。
 宿泊予約と共にお申込み下さい。
 ホテル軽井沢 1130 予約係:0279 – 86 – 6111
 (オプショナルツアーはお電話でのみ、ご予約を承ります。)

【定員】 限定3組 最大8名様まで 4名様以上で貸切も可能!

【服装・持ち物】
 動きやすい服装、上着(寒くなった時用に)、土の上を歩ける靴
 飲み水、雨具、身分証明書など

【申込み〆切】 2020 年5月 27 日(水)

【ツアーチラシ PDF ファイル(A4サイズ)】
 ここをクリック してダウンロードしてください。


2020 年5月 30 日(土)オプショナルツアーの様子
「佐久市臼田の歴史訪問 五稜郭と新海三社神社」

5月 30 日オプショナルツアー「佐久市臼田の歴史訪問 五稜郭と新海三社神社」無事終了いたしました。ご参加くださいましたゲストの皆様方、誠にありがとうございました。

佐久市臼田地区は歴史的建造物などが良好に残っている、歴史の里です。新幹線や高速道路などが通らず、開発の手から逃れたことが、影響しているかもしれません。

新海三社神社、上宮寺、蕃松院、龍岡城五稜郭などの史跡を見学し、稲荷山公園コスモタワー、佐久の花酒造アンテナショップ、円満寺の藤棚でしめくくりました。

蕃松院ではご住職様のお話を聞くことができました。昨年、ずれた墓石を戻すために石を動かしたところ、依田信蕃のものと思われる刀が出てきたとのこと。蕃松院は田口城跡の真下にある寺院で、依田信蕃が最後の城主でした。「天正壬午の乱」の際、北条氏にほぼ落とされた佐久平でしたが、信蕃が徳川家康の下で、わずか半年でほぼ平定し、最後の抵抗勢力「岩尾城」を攻める際に油断して鉄砲の銃弾を受け、その翌日死亡しました。田口城に退却してからのことなので、遺骨の上に墓を建てたことは予想されていましたが、今回のことで守り刀も一緒に埋葬されていたことがわかった…とのことでした。

当日の様子


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