「岩櫃城址」探検と武田勝頼を迎える御殿(潜龍院)跡

「岩櫃城址」探検と武田勝頼を迎える御殿(潜龍院)跡

2020 年 12 月1日(火)オプショナルツアー
「『岩櫃城址』探検と武田勝頼を迎える御殿(潜龍院)跡」

2020 年 12 月1日の ホテル軽井沢 1130 オプショナルツアーは、
「『岩櫃城址』探検と武田勝頼を迎える御殿(潜龍院)跡」を 実施いたします。

天正 10(1582)年、織田・徳川連合軍に追いつめられ滅亡を待つのみとなった武田勝頼に、真田昌幸は、岩櫃城に勝頼公を迎え入れ、武田の再挙を図ることを提案して許されました。昌幸は急ぎ帰国し、勝頼公を迎えるために3日間で御殿(潜龍院跡)を建設したと伝わっています。結果、勝頼公は岩櫃には入らず、天目山で自害してしまいますが、跡地の今は石垣や曲輪群などが残っています。吾妻の歴史舞台の中心地だった岩櫃城と潜龍院跡を探索します。

昼食は東吾妻町原町の国道沿いのレストラン等でご自由にお召し上がりください。

国指定史跡「岩櫃城跡」

岩櫃城の城郭規模は 1.4 キロ平方メートルと上州最大を誇り、甲斐の岩殿城、駿河の九能城と並び武田領内の三堅城と称されました。
永禄6(1563)年、武田信玄は上州侵略のため、重臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じました。ときの城主は斎藤基国(または憲弘)といわれ堅城を利して奮戦しましたが、ついに落城してしまいました。こうして岩櫃城は武田氏の手中に落ち、信玄は幸隆に吾妻郡の守護を命じました。
天正2(1574)年に幸隆が世を去り、岩櫃城主には長子の信綱が収まりましたが、翌年、長篠の戦いで信綱、昌綱兄弟が戦死したため、真田家は幸隆の三男、昌幸が相続。その後、昌幸の長男信幸が支配しました。天正 18(1590)年、北条氏の滅亡により、信幸は初代沼田城主となり、岩櫃城は沼田の支城として、重臣出浦対馬守を城代としました。そして、幾多のドラマの舞台となった岩櫃城も徳川家康が発した一国一城令(慶長20(1615)年)により、四百年余の長い歴史を残し、その姿を消しました。

潜龍院跡

天正 10(1582)年3月、甲斐の武田勝頼は織田・徳川の連合軍に攻められていました。軍議の席上、真田昌幸は岩櫃城に勝頼を迎え入れ、武田の再挙を図ることを提案して許されました。昌幸は急ぎ帰国し、岩櫃山南面のこの地に勝頼を迎えるための館城(古谷御殿・現在は石垣が残るのみ)を3日間で造ったと言われています。
しかし、勝頼は吾妻の地に来ることかなわず天目山で自刃してしまいました。このときに勝頼が吾妻に赴いていたならば、この地は戦乱の舞台として時代の中心的立場に置かれていたことも十分に推測されます。
急造された御殿は昌幸の一族である根津潜竜斎という山伏が拝領して修験寺院とし、巌下山潜竜院と称して明治にいたり、明治 17 年にその護摩堂が原町顕徳寺の本堂となっています。

≪スケジュール≫
  9:00 ホテル 出発
10:00 平沢登山口駐車場 移動
10:10 岩櫃城址探索(約 120 分)
12:20 付近のレストラン等で各自昼食
13:30 古谷登山口駐車場 散策開始 移動
13:40 潜龍院跡見学(約 20 分間)
14:10 駐車場戻り 出発
15:10 ホテル 戻り

※ 15:30 発の「ホテル発 軽井沢駅行き無料シャトルバス」乗車に間に合います!

【ツアー参加費】
 会員 無料
 ビジター お一人様 2,000 円
 ※ ご昼食代等は各自で別途ご負担いただきます。

【予約方法】
 ご宿泊ゲスト専用のオプショナルツアーです。
 宿泊予約と共にお申込み下さい。
 ホテル軽井沢 1130 予約係:0279 – 86 – 6111
 (オプショナルツアーはお電話でのみ、ご予約を承ります。)

【定員】 限定3組 最大8名様まで 4名様以上で貸切も可能!

【服装・持ち物】
 動きやすい服装、軽登山ができる程度の運動靴、防寒着、上着、
 防寒具(帽子・手袋など)、飲み水、雨具、身分証明書、行動食など

【申込み〆切】 2020 年 11 月 27 日

【ツアーチラシ PDF ファイル(A4サイズ)】
 ここをクリック してダウンロードしてください。


2020 年 12 月1日(火)オプショナルツアーの様子
「『岩櫃城址』探検と武田勝頼を迎える御殿(潜龍院)跡」

12 月1日オプショナルツアー「『岩櫃城址』探検と武田勝頼を迎える御殿(潜龍院)跡」無事終了いたしました。ご参加くださいましたゲストの皆様方、誠にありがとうございました。

担当ガイドのコメントを添えて、当日の様子を報告いたします。

王城山神社(長野原町)

ホテルから岩櫃城址に行く道すがら、戦国時代における真田氏の吾妻侵攻に関わる史跡を車窓で案内しながら進みました。激戦を極めた長野原合戦、琴橋・須川橋を打ち落とすも王城山の木を切り倒し白砂川に落下させ詰まらせ、それを橋代わりにして対岸に渡り攻め入った…の伝説をお話ししてしまった以上、王城山神社にご案内しないわけにはいきません。

王城山神社の奥宮は王城山々頂にあり、こちらは里宮になります。元々は日本武尊を奉った神社のはずですが、戦国時代には諏訪神社であった可能性が高く、古い書物によると真田幸隆は岩櫃城攻めの時、「林ノ郷、諏訪ノ森」に陣を設けたと記されています。

また、別の書物では「其後真田一徳斎初老にして子なく、此御神に祈誓して別当において三七日男子誕生の護摩供を修行せし処、不思議に男子出生ありけれハ…」とあります。真田幸隆は王城山神社で護摩祈祷を行ったことで長男信綱を授かった。という説です。

さらに境内のご神木は樹齢四百数十年の巨木で、真田幸隆が当時、戦勝祈願として植樹したのであれば、年代がピタリと合います。これも興味深いことです。

他にも、拝殿の彫刻、双体道祖神、謎の鳥頭宮、境内土俵など、小規模ながらも非常に味わい深い神社です。

鳥頭神社(東吾妻町)

当ホテルから国道 144・145 号線を沼田方面に進むと、東吾妻町の矢倉という場所に、見事な杉の巨木「神大杉」があるのが見えます。ここは鳥頭(とっとう)神社です。王城山神社に「鳥頭宮」の神額がある拝殿があったので、本家の鳥頭神社にも寄ってみることにしました。鳥頭神社の「神大杉」は、日本武尊が東征の折り、お手植えされたもので、その先の王城山神社で休まれた…という伝説になっています。

歴史がある神社で、吾妻七社の一神です。鳥居に掲げられている「鳥頭宮」の字体も雰囲気があります。「力石」があり、吾妻渓谷のむかし道を整備した円心和尚の 1783 年浅間山噴火時の火消し物語があり、なかなか味わいのある神社です。

岩櫃城址 探検(東吾妻町)

そして、今日のメイン訪問地である岩櫃城址へ。山城探検を楽しむには、「上る時は敵兵となって攻め込むつもり」「下る時は城兵となって守るつもり」で探検します。岩櫃城は車で走ってきたところも城の一部で、城跡として探索できるようにしてあるところは本丸付近のごく一部にすぎません。散策路通りに進むと、本丸へ一直線の急な切岸の下を歩くことになります。やがて、岩櫃山ならではのゴツゴツした大岩が現れ、その周囲には多数の堀と曲輪が現れます。ここには「水の手」と考えられているところがあり重要な場所でした。北側遺構「詰の丸」の、どこにでも城兵が潜める造りに恐れおののきながら、先に進みました。

「本丸」付近には「北の枡形」「土塁」などの遺構があり、切岸の裏側には投石するための石を敷き詰めていたそうです。そして楼台跡付近の南側には形状が残る竪堀があり、横矢の仕掛けぶりが見事です。岩櫃城の特徴は、この本丸から四方八方に延びる竪堀の規模と仕掛けに特徴があります。

その後は、400 年以上昔から使われていた「真田道」を歩いたり、「天狗の丸」裏の深い横堀などを見学して、昼食処に向かいました。

潜龍院跡 と 大隅桜(東吾妻町)

真田昌幸が主君・武田勝頼公を迎え入れるために建築した御館跡は、勝頼公が来なかったために根津潜竜斎という山伏が拝領し修験寺「潜龍院」としました。その潜龍院も明治2年の修験寺廃止令で廃されたので「潜龍院跡」は少しピンときません。地名をとって「古谷御殿跡」なら解りやすいです。

古谷御殿跡地は、この岩櫃山・幕岩の絶壁直下でとても広い平場であり、さらに向かい合う巨石「来福寺左京物見の岩」の下は急崖と曲輪状地形が続いており、この地形が自然に成立するのは奇跡に近いので、人為的に造った可能性があります。

それでも、伝説にある「武田勝頼公を迎えるために3日で造った」というのは無理があるので、岩櫃牙城の南西方向の備えとして古谷御殿周辺の土木工事や建築物も完成していたので、勝頼公をお迎えしようとしたのかもしれません。…或いは策略家の真田昌幸のこと、「長篠の戦い(1575)」以降滅びゆくのを待つ状態にあった武田家を案じ、初めから勝頼公を迎えるための御殿として7年かけて築城していたのではないでしょうか。さらに自分の手の内にある草津街道(真田道)沿いに勝頼公を居住させることで、真田昌幸は勝頼公をいいように利用・コントロールできるようにと考えていた可能性もあります。

潜龍院跡地でいろいろと思案した後、吾妻最大の桜「大隅桜」を一目見てから、帰路へと向かいました。

和菓子 金加屋(東吾妻町)

東吾妻町の和菓子屋「金加屋」さんは、矢倉という、中心地からはかなり離れた立地にありながらも、創業 100 年以上続く老舗であり、吾妻のスイーツ名店で、近隣の町村からも買いに来る人がいます。もちろん、嬬恋村にもコアなファンがいらっしゃいます。北海道産小豆を使った自家製あんを使い、一心に美味しい和菓子を作り続けています。

おススメは「かりんと饅頭」「酒まんじゅう」「塩あんまんじゅう」などです。今回は「ち~ずまんじゅう」を購入しました。饅頭の生地はややクッキーに近く、中に入ったクリームチーズにマッチしていました。

このツアーをご案内させて頂いたことに感謝いたしております。ゲストの皆様のかけがえのない一日になれば幸いです。当ホテルのオプショナルツアーを楽しんでいただきまして誠にありがとうございました。


終了したツアーカテゴリの最新記事